イチローさんのレース完走記その1  
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第31回JALホノルルマラソン完走記   2003年12月14日
 今回のホノルルマラソンは私にとって特別な思い入れのある大会です。自己紹介で走り始めたきっかけは、「女子マラソンに感動した」と書きました。それはそれでそのとおりですが、実はきっかけはそれだけではありません。それを含めて、今回の完走記を書きたいと思います。

 私は中学3年生の時、「潰瘍性大腸炎」という病に罹りました。この病気は国で「特定疾患」として指定されている難病です。特定疾患と呼ばれる病気は、「原因不明、治療方法未確立であり、かつ、後遺症を残すおそれが少なくない疾病」のことを指します。罹ってしまったら、一生病気と付き合っていかなくてはなりません。

私の場合、入退院を繰り返しながらも投薬治療や点滴で、病状を抑えることができ、中学、高校を卒業し、大学に進学し、欠席が多く単位とかヤバかったのですが、何とか卒業して就職しました。しかしそれ以降、ストレスや疲労で病状がかなり悪化してしまい、投薬治療もあまり効果が出なくなってきてしまったのです。そこで、主治医から外科的治療を進められました。手術して大腸を全て摘出してしまえば、病気自体が完治したわけではないが、症状は出なくなるとのことでした。今後のことを考え、悩んだ末に大腸全摘出の手術を行いました。昨年の夏のことです。
手術後の経過は比較的良好で、多少、生活面で不自由があるものの何とか普通に生活でき、今年に入り結婚もして仕事にも復帰できました。

 全国には、病気で苦しみ生きることに絶望している方々が多数おられます。今までにも、難病の方々が集まって、情報交換を行う会合に何度か参加したことがあるのですが、病気のために「仕事や学校を辞めてしまった」等、悲痛な話をたくさん聞いてきました。私は幸いにもズボラな性格?(笑)なので、病気になって間も無くは軽い情緒不安定にはなったものの、学校を辞めたり(かなりサボりはしましたが)(笑)深く落ち込んだりはしませんでした。病気で苦しんでいる人たちの為に同じ難病を抱える者として「何か元気付けることはできないか」と考えていた矢先、TVで世界陸上女子マラソン3位の千葉真子選手のドキュメントを観ました。「彼女は、一時マラソンを挫折したが、そこから這い上がって世界選手権に出場できる位まで成長した。」という内容のものでした。それに感動し「もし、自分がマラソンを完走し、その体験談を会合で話せたら、同じ病気の人たちからしてみれば、かなり励みになるのではないか。よし!!やってやろうじゃねぇか!!」と、難病で苦しむ人たちの為に難病者代表(かなり自称・・)として走り出す決心をしました。(笑)それに「フルマラソンが出来る位まで俺は回復したのだ!」と難病を完全に克服した今後の自分自身に自信持てる気がしました。
長く書いてしまいましたが、これが走り始めたもう一つのきっかけです。



 しかし、「マラソンをやる!!」と周囲に言ったところ、私の身体のことを知る人間は皆、口を揃え「お前の身体でマラソンなんてできるわけない!!絶対に無理だ!」と言いました。確かに、急に走り出したのは少し無謀でした。(笑)私の身体は、長年のステロイド剤投薬(炎症を抑制する薬。非常に良く効くがこわ〜い副作用が・・・。)の副作用により、骨が常人に比べてかなり脆くなってしまっていたのです。今だから言えるのですが、大した練習量ではないのに疲労骨折するのは当然だったのかもしれません。しかもマラソンは、常人でも水分をまめに取らなければ脱水症状を起こしてしまいます。私は大腸がない為、通常の人よりも水分が多く吸収できません。炎天下で走ろうものならあっと言う間に、脱水症状を起こしてしまいます。今では、水を持って走るなどの工夫や、訓練して大分慣れてきましたが、走り始めて間もない頃(今でも間もないですが)は、すぐに脱水症状を起こしました。そんなこんなで練習も思いようにいかなく「早くも挫折か・・・。」と思った時もありました。それでも、周囲に「走る」と断言してしまった以上、後には引けません。それに、なんだかカッコ良くないですか?難病を克服したランナーなんて♪目立ちたがり屋で、負けず嫌いな正確なので何とか続けることができ、色んなトラブルがありましたが、妻を初め、周囲の方々のサポートや、走り屋に入会して先輩方の素晴らしい走りやアドバイスに励まされ、頑張れました。
 ホノルルへ出発直前に足の再検査をし、「骨折の部分は完治ではないが、快癒しているので、走っても良い」とドクターストップが解除されました。骨折してからランニングがまったく出来なく、特に11月は月間走行距離0Kmです。ジムでバイクトレーニングや、水泳は続けて来ましたが、走ることに対して一抹の不安がありました。しかし、マラソンまで時間がありません。結局、最終調整は現地で行うことにしました。

 ホノルルに到着後、妻と観光を楽しむ合間にも、マラソンコースを軽くジョギングしました。心配していたランニング開始後の足の痛みも無く「ここを、本当に走るんだな。」とモチベーションも上がってきます。マラソンの前日に、せきぽんさんYukkoさん夫妻と共に昼食をとりお互いの完走を誓い合いました。色々アドバイスもいただきかなり心強かったです。昼食後、明日の調整の為にマラソンコースを走っていると現地の女性や子供に「明日走るの?」とか「頑張ってね!」、「私も明日走るのよ。お互いに頑張りましょうね!」と話しかけられました。見知らぬ人に話しかけられるのって日本じゃあまりないじゃないですか。最初は戸惑いましたが、慣れるとなかなか良いものですね。

 14日当日、午前1時に起床しました。軽く朝食を摂り、2時半頃シャトルバスに乗りスタート地点のアラモアナ公園に向かいました。3時頃、到着し続々と出場選手が集まってきます。そして午前5時。まだ暗い中、大歓声に包まれながら盛大な花火が打ち上げられ、マラソンがスタートしました。早朝にもかかわらず、現地の方々の応援は凄まじいものでした。バンドを演奏している方や、歌を謡ってくれる方も多くとても励みになります。なぜか??日本の焼肉店である「牛角」の制服と看板を持った日本人の方も沿道で応援していました。「牛角」はハワイにもあるのでしょうか??余韻に浸っている間に10Km(48分)に差し掛かり、突然痛めた足に違和感を覚えました。「まだ大丈夫だろうな」と思いながらもペースを少し落とし様子を見ようと思いました。しかし12Km〜15Kmと走るごとに違和感は、痛みへと変わり「やばいなぁ、ハーフまで持つかなぁ」などと思いながらも自然とペースはドンドン落ちていき、後続ランナーに次々と抜かされていきました。20Kmを通過し、ハーフを通過(110分)したところで、痛みも酷くなり足の安全の為歩くことにしました。歩く分には、走るより痛みはずっと楽でした。そしてせっかくハワイに来たんだし、景色や雰囲気を楽しもうと開き直りました。「ホノルルマラソン」から「ホノルルお散歩」に変更です。(笑)
歩き始めた辺りで、折り返しのトップのケニアの選手とすれ違いました。いやぁ、トップランナーはカッコいいですねぇ。フォームは綺麗だし、苦しそうな表情も少しも見せない。折り返し地点に、ツアーの添乗員さんがJTBの大きな旗を持って、声援をくれました。その声援のお陰でちょっと元気になったかな。
 それ以降、エイドステーションで一服しつつ、徒歩のまま35Kmを過ぎ、ダイヤモンドヘッドを登りきって40Kmに差し掛かったところでラストスパート?のごとく再び走り出しました。実はそれ以降、ゴールするまでの間はほとんど覚えておりません。痛みも忘れて、きっと無我夢中だったのでしょうね。唯一はっきり覚えているのはFINISHの看板が見えてからそこにたどり着くまでがものすごく長かったことです。ゴールでは、妻がずっと前から私のゴールを待っていてくれたので、少々申し訳なく思い、私が妻にかけた最初の一言が「待たせたね。遅くなって悪かった」でした。(笑)ゴールタイムは5時間7分でした。最初は、「3〜4時間あれば走れるかな」等と考えていたのですが全然甘かったです。マラソンは想像以上に長く苦しいものでした。しかし、ゴールした時の達成感も今までに味わったことのないものでした。

私も偉そうなことを言ってはおりますが、病気になってから今に至るまで、その度に何かを諦めて逃げてきたような気がします。しかし今後は、「オレはフルマラソンを完走したのだから大丈夫なはずだ!!」と自信を持って色々なことに挑戦できるような気がします。これを読んでいただき、病気の方々が少しでも元気になり、健康な方が少しでも病気に対してご理解いただけましたら幸いです。最後になりましたが、チーム走り屋の方々をはじめ、今回のマラソンで私のサポートをしていただいた全ての方に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

                                 イチロー
 P.S
  次は足をしっかり治してから何処かの大会に出場します。