タイガさんのレース完走記その3  
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立山登山マラニック完走記   2008年8月30日
―はじめに―
マラニックファンの方に、少しでも「海抜0メートル〜3003メートル」という世にも奇妙な立山登山マラニックの模様と体験談をお伝えいたしたく、参戦記を書きました。
今後の参加をご検討される際のご参考としていただければ幸いです。


―参戦記―
日本三霊山への挑戦第一弾、富士山には練習で2回行ったけど本番では五合目リタイア。
第二弾の立山は万全の状態で行きたいと思っていたが、やはり富士山リタイアで気持ちが抜けてしまい、殆ど練習を積まないでの参加ということになってしまった。
更に、せっかく富山まで来たのだから・・・と、前日は黒部渓谷観光とグルメツアー(地酒&魚)となり、本当に翌朝2時起きで大会に出るのかい?といういい加減さで臨んでしまった。

当日は朝2時にセットした携帯アラームが鳴る前に目が覚める。前夜に利き酒コースをやって、寝酒に更に缶チューハイを飲んだ割には頭がハッキリしている。前夜のうちにウエアへのゼッケン付けなどを済ませておいたので、着替えるだけである。
2時20分頃、荷物を背負い地鉄富山駅に向かって出発。駅前には既に大型観光バス3台が停まっていて、選手たちも緊張のかけらも無く談笑していた。顔見知りの選手に挨拶をして、荷物をバスに積み込む。

3時、大型観光バス3台は富山湾の浜黒崎海岸に向かって出発した。浜黒崎までは、もっと近いのかと思っていたが、意外と時間が掛かった。3時30分前に浜黒崎海水浴場・キャンプ地に到着。ここが海抜0メートルのスタート地点だ。
この浜黒崎海岸でも、当日の受付を行っていて、荷物を預けている選手が目立つ。
「海岸のスタート地点に向かってくださ〜い」というアナウンスに従って、とりあえず海岸の方に向かう。
海岸にはスタート地点の横断幕が張ってあり、大勢の選手が集まっていた。
3時50分、立山登山マラニックの松原実行委員長から開会の挨拶があり、係りの方からコースの概要と注意点について説明があった。危険な場所が何箇所かあるということだったので、そのことだけ頭に入れる。
ここで、係りの方から選手たちに「足元の石を拾って、それを持って走るように」というアドバイスがあった。この石は、何としても自分の足で立山頂上に立つんだという、「完走の石(意志)」ということだ。
周りを見たが、砂ばかりで石など見付からない。「意志は既に胸中にある」ということで、あえて石を探すことはやめた。

4時、松明を持った松原実行委員長を先頭にして、ゆっくり大会は始まった。
海岸線では、鋼鉄のポールが立っていて危ない。ここを抜けるまでは、松原実行委員長を追い抜いてはいけないことになっている。
常願寺川という一級河川に出ると、松原実行委員長は選手たちを見送り、本格的な大会モードとなる。
常願寺川の土手は砂利道で、先の大雨の影響で水溜りばかりであった。一応、懐中電灯を持って走るが、前のランナーで視界が優れず、水溜りを避けきれずにすぐにシューズが濡れてしまった。
汗をかいていたので、10キロエイドで水分を補給。19キロエイドの神社(雄山神社)ではオニギリと梅干を摂った。19キロエイドで2時間掛かっていた。自分の感覚ではキロ6分は切っているつもりだが、予想以上に時間が掛かってしまっていた。
完走のペースが分からないが、周りの選手が「頑張って、立山駅まで4時間以内で行こう」という会話を聞いて、「立山駅って何キロだったっけ?確か36キロ地点だ」と考え、少し真面目に走るようにした。
立山駅エイド(36キロ)にはスタート後3時間56分で入った。アンパンにジャムパン、バナナなどを食べて次のエイド称名に向かう。立山駅から称名までは約7キロ。立山駅からの上り坂がきつくなるという話だったので、目標を1時間のスタート5時間以内の称名到着を目指す。

立山駅に着く前から歩いている選手もいたが、称名までの7キロではもっと歩いている選手が増えた。男性よりも女性の方が歩かない。やはり、この手の負荷は女性の方が強いのであろう。
私も歩いてしまったが、「こんなことでは1時間で着かない」と思い、歩幅を狭めてでも走るように努めた。
称名エイドにはスタート後4時間58分で到着した。

称名エイドで休憩後、噂の「八郎坂」に入る。
道幅が20センチ程度で、左側が崖という危険な場所ばかりである。岩だらけで傾斜もきつい。殆ど登山経験の無い私の貧弱な喩えでは、筑波山の男坂の傾斜をきつくした坂といったところか。木の枝がせり出していて、何度も頭をぶつける。
凡そ、2キロ程度の距離なのに、標高は500mくらい上がる。落差日本一を誇る「称名の滝」を上に見ながら登っていたら、いつも間にか「称名の滝」が下に見えるようになっていた。
途中、滝がよく見えるスポットがあり、そこで腰を下ろして携帯で写真を撮っていたら、二人に抜かれた。この坂では、本当に多くの人に抜かれた。危険なのでゆっくり登ったこともあるが、単に岩場が苦手ということもあって、ここで丁度10人の選手に抜かれた。
八郎坂の途中で、心配していた雨が降り出した。木の陰になっていたせいで、雨は然程気にならなかった。

苦手な岩場だらけの八郎坂が終わったら「弘法(50キロ地点)」という場所に出る。エイドでは飲み物とゼリーを少しいただいた。大会が終わった後、高速観光バスで下山した際、弘法から称名まで八郎坂を経由せずに一般の道路を降りたのだが、この道のりの長いこと長いこと。八郎坂もきついが、八郎坂を使わず一般の道路を登ったらもっと辛いだろうなと思った。
弘法からは草木の生えた高原のような場所に敷かれた木道(もくどう)を走る。走ると言っても、木道が梯子のようになっていて、思うように走れない。八郎坂の途中から降ってきた雨が本降りになってしまった。木道の両端からせり出した雨に濡れた木々の枝や葉が、身体を触り、すぐにビショビショになってしまった。
この木道が、とんでもなく長いように感じた。しかもシューズの先端が梯子のような
ところに当り、先端部分からシューズのソールが捲れてきてしまい、非常に気にしながら速歩していた。

やっと木道が終わり、「追分」という場所に出る。ここにも私設のようなエイドがあって、アンパンとジャムパンを食べる。
ここからは舗装路に戻ったが、八郎坂で脚がやられてしまっていて、走れない。しかし、木道を絶えず自分の近くにいた女性ランナー二人はスピードは全く無くなっているがちゃんと走っている。自分も走らなくちゃと気合を入れる。
根性で女性二人に付いていき、「弥陀ヶ原(みだがはら)」というエイドに辿り着いた。身体はびしょ濡れ。脚もとてもまともとは言えない。ここで「室堂(むろどう・60キロ地点)まで8キロ」という道路標識を見つけた。「8キロ」と言えば、あと僅か。でも、険しい登りばかりの8キロである。
関門まで2時間ある。エイドのスタッフに聞いたところ、歩きの速い人で90分で室堂に着くとのこと。「歩いても間に合うか?」「いや、まだ安心できない」ということで走り出す。エイドで休んだせいか、足取りが少し軽くなった。程なく女性ランナー二人を抜いて、引き離した。前を行く選手を一人ひとり捕らえて抜いていった。
室堂に向かう途中で立山駅のだいぶ前から並走し、会話を交わしていた人に追い付く。立山登山マラニックも何度も走っているし、さくら道ネイチャーラン270キロも何度も走っている方だ。立山駅の手前で私が先行して、八郎坂では追い抜かれていた。室堂までの道のりを会話しながら走っていたら、気が紛れた。「あと2キロぐらい」とか「もう少ししたら坂が緩くなる」とか教えていただき、本当に助かった。
とか何とかやっているうちに室堂エイドに着いた。スタートしてから8時間5〜6分経過である。寒いの何のって、トランジットバッグから唯一持って来ていた長袖である布製のジャケットを取り出して羽織った。また、寒さを少しでも和らげるために、温かいお粥を食べた。
さて室堂を出れば、山登りとは言え、残り5キロを2時間45分で行けば良い。やっと完走が見えた。早足で歩いて登山道を登って行った。途中に雪渓があったが、大した距離では無かったので手間取ることは無かった。

室堂から3キロほど行くと「一の越」に着く。ここからが本格的なガレ場だ。2キロの距離で300メートル登ることになる。エイドというほどの場所ではなかったが、手作りの梅ジャムを食べさせてもらった。富士山の時には用意していった軍手も、今回は持たずに大会に参加したせいで、手が悴んでしまって梅ジャムも満足に開けられなかった。
選手たちが、どんどん登り始める。私も、とりあえず岩に脚を掛けた。
もう完走は確実なので、ここもゆっくり登る。後ろから選手が来れば、先を譲って待機していた。頂上はまだまだ先だが、滑落しないように気持ちを張り詰めて登る。雨が強くなってきて、顔に固形物がパラパラ当たるようになってきた。「雪?」いやいや、大きさから言って霰(あられ)かも。後から聞いた話だが、この時の頂上は3度、室堂は4度だったらしい。動いているのにますます寒くなった。
今年から「ウォークの部」というものが出来たらしい。立山駅を朝6時スタート以外はマラニックと同じである。このウォークの部に視覚障がい者の方がいて、伴走者二人(前後一人ずつ)と一緒に急坂を登っていた。少しずつ頂上らしきものが見えてきて、あと10メートルくらいかなって思っていたら、例のさくら道の方が横をヒョイヒョイと抜いて行った。
さあ、頂上。ゴールテープを切る瞬間の記念撮影である。頂上まで食材やら飲み物やらを担いで登ったスタッフの方とハイタッチ。「あそこまで行けますよ」という指先には更に10数メートル岩場を登り祠が見える。「ここまで来たなら登らなくちゃ」って近寄ったら、拝観料ならぬ拝登料が500円也。今回の大会は、自動販売機の設置されている場所やコンビニなど全く無いと聞いていたので、お金は1円も持たずに走っていた。祠まで登りたかったが、大雨だし寒いし、すんなり諦めて、ゴール地点傍の社務所に入った。
ここでコーンスープをいただくが、全く身体が温まらない。震えが止まらず、カップ内のスープを殆どこぼしてしまう始末。「地下に暖を取れる場所があると」という言葉に甘えて、地下に移動する。甘いパンとコーヒーを飲んで、ストーブの傍にいたら何となく生き返ってきた。ここに居ても寒いだけと思い、大雨の中を「エイヤ」って飛び出し下山した。岩場は相変わらず険しく、滑りながら何とか降りられた。途中、行きで見かけた視覚障がい者の方が登っていた。伴走者の「キャー」とか言う悲鳴とともに横に倒れながら登っていた。この日一番「凄いな〜」と感じた瞬間であった。
一の越まで降りると、かなり暖かくなった。行きは大丈夫だった雪渓に足を滑らしながら、室堂に着いた。相変わらずの寒さであったので、お粥を所望したが生憎の売り切れとのこと。観光バスの中で塗れたウエアを着替えて、意を決して本日の宿泊場所である「雷鳥荘」に向かう。途中で観たミクリガ池や立山雄山が綺麗だったし、何と言っても感無量であった。

雷鳥荘で温泉に浸かり身体を温め、夕食を食べたら「反省会」と称する飲み会であった。レース中に会った懐かしい顔に再会した。今年から室堂関門と山頂ゴールが1時間短くなったそうである。特に室堂で無念の関門に引っ掛かった方が多かったようである。正確なところは分からないが、240名の出走者で頂上に来た選手は100名ちょっととか。
でも山頂まで行った選手、行かなかった選手、皆で楽しく銀嶺立山を味わってしまった夜であった。

翌朝は昨日の天気が嘘のような晴天だった。ミクリガ池の向こうに浮かぶ立山雄山が朝日で眩しくて選手たちが残したい立山の足跡を称えているようであった。